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29th August 2008

バタートップ


一枚のはがきが届きました。シール式で、はがせば中身が読めるというものです。

あて先には心当たりがあります。旅行中に体調を崩し、それにかかった医療費等の申請をこちらにしていたのです。 半分、いいえ四分の一でも戻ってきたならばありがたいと思いながら開くと、なんとそこには全額が記入されていました。

捨てた気になれる額ではなかったものですから、これは本当に本当にありがたいです。

そうしますと、実質タダで外国の夜間救急医療の受付についてというお勉強をさせていただいたことになりますね。 ありがたいと思うべきでしょうか、いや、しかしいまでもやっぱり体調を崩さなければよかったと思うのですから微妙なところです。

もうすっかり元気な状態で日本にいますと、 スロバキアも行って来たらよかったな、いやいやフランスにも足を運べばよかったななんて頭をかすめることもありますが、 あの時、あの場ではもう本当に辛かったんです。

結果、幸運にも今回の治療にかかった全てのお代金は戻ってきましたが、 体調を崩して得することはなにもなく、後半の外出を控えめにした自分の選択は間違っていなかったと思うことにしましょう。

これを教訓にして、また旅立てばいいのです。

さて、ここしばらくは和朝食が多かったわたしですが、久しぶりにパンを焼きました。 レーズンを混ぜ入れたバタートップです。涼しくなってきたのもあって、久しぶりではありましたが過発酵にならずに焼くことができました。

残念なことに旅先では美味しいと思うパンにめぐり合えなかったので、自分のパンがなによりも美味であるとしみじみ思いました。 あ、勿論それは、わたしが積極的に美味しいパンを求めなかったことが要因なのですよ。

今回のドイツではパンを口にしませんでしたし、その他の国でも積極的にはパンを食べていません。 普通の、家庭的なホテルの朝食についているパンを少しばかり口にしただけですから、それは仕方のないことなのです。

では次は、パンの美味しい国を周ってみましょうか。


25th August 2008

Vienna


一通り有名な観光地を見て周って、いよいよ帰国の日が近づいてきました。 気が向いたらフランスにも足を伸ばすかと旅の道を残しておいたのですが、 この頃には新たな国に旅立つよりも帰国したい気持ちの方が強くなっていました。

フライトは明日の朝です。 バタバタするよりものんびりしたい気持ちですので、前日は空港前にあるホテルを取りました。 中心地から空港までの道のりは、急ぎならば空港特急の CAT に乗るところですが、わたしは前泊ですから時間はたっぷりあります。 CAT と比べて価格 1/3 程度の S-Bahn を使ってのんびりと向かいました。

ミッテ駅から発車する CAT は明るいグリーンとホワイトカラーの二階建てのように見える素敵な列車でしたが、いえいえ S-Bahn も十分豪華です。 足元も広く、少し上がったところにある座席も二階建てとまでは言いませんが見晴らし最高です。

CAT に比べて停車駅が多いのでしょう。空港到着までに時間がかかるのが急ぎの方には難点ですが、そうでなければ使う価値大いにありの列車でした。

到着してからはまず空港すぐそばのホテルまで徒歩で進み、チェックインを済ませてから e チケットのチェックインと散策をかねて空港に遊びに行きました。 飛行機の離着陸を見るのは好きです。飛行機ってロマンを感じますものね。 大きな機体をただ眺めているのも好きです。飛行機ってかっこいいですものね。しかし搭乗するのは好きではありません、なぜでしょう。

やっぱり怖いからです。

Vienna


一通りショッピングエリアを周って食事を済ませて部屋に戻りましたが、ホテルも広く、設備が整っていて快適です。 ホテル内でも時間をつぶせる施設が多く、一日だけでもこちらに泊まることにしてよかったと思いました。

旅行中のホテルは全てバスタブ付きを選びましたが、ずっと咳がでていたために湯船に浸かることを避けました。 これが旅行中に一番残念と感じたことです、って、本当は体調を崩したのが一番残念なことなんですが。

やっぱりお風呂って大切ですよね。

Vienna


朝食はまた選択肢の多いブッフェでした。ここへきて初めてお代わりをしたのです。 帰国すると決まったとたんに心も身体も元気になったって感じですかね。

やっぱり病は気からって気がしますね。

さて、本日で旅行日記を終了します。 プラハ・ベルリン・ウイーンを旅行してきましたというと、春江一也さんか或いは音楽つながりでかと思われるかもしれませんが、 そうでもないです。自分の行きたいところとその周辺を周ったらこういう選択になりました。 ま、多少の苦い思いではあるものの、この国々を選んでよかったと思っています。

ただ、この旅行中に自分では少しばかり英語が上達したような気になりましたが、それはやはり錯覚でした。 普段の生活で全く使っていないのですから、上達するはずがありません。むしろ、ダメダメになっているのです。

帰国してからある外国人とお話しする機会があったのですが、 あちらの方とは話せるのにこちらとは全くかみ合わない、それはひとえにわたしの語学力のなさを意味しているのだと思います。 別にわたしは、いまさら高尚ななにかを目指している訳ではありませんけれどもね。

それでもやっぱり勉強していきたいと、していかなくてはならないと思うのです。


24th August 2008

Vienna


本日は朝食をゆっくりと済ませて、ドナウ川に乗ってスロバキアの首都ブラチスラバまでと考えていたのですが、 橋からクルーザーを眺めているうちに気が変わりました。 体調は万全で天候も悪くなかったのですが、この、気が変わった方を信じてみようと本日はリング内を見て周ったのです。

帰国して調べてみましたがこの船、意外と揺れるそうですね。 わたしの人生、船酔いで死ぬほど辛かったという経験はありませんが、 デッキから波を眺めていて、その波の独特なうねりで目頭から後頭部にかけて軽い痛みを伴った経験はあるので、 止めて正解だったかもしれません。

わたしには武勇伝も、いまだから笑い飛ばすことができるって話も必要ないのです。

さて画像はシュテファン寺院です。この前の通りはオペラ座までにぎやかに続いています。

画像の反対側には馬車が待機しています。 ポーランドにも馬車はありましたが、 ウイーンの馬車には馬の尻尾から、いえ正確に言うと肛門辺りからですね、革のベルトがゆるい傾斜を付けて取り付けられていました。 これは馬糞を道に落とさないためだと思います。 クラクフの街にはわらの混じった馬糞が道の至る所に小さな山をこしらえていたのですが、そういえばウイーンでは見かけなかった気がします。 確かに馬の横を通り過ぎる時には臭いがきびしかったのですが、常にハエを追い払わなくてはならないほど忙しい食事は取らなくても済みました。

Vienna


この通りにはホテルザッハーがありまして、旅行当初は別にいいやと思っていたザッハートルテを休憩時間の確保もかねて食べることにしました。 別にいいか、お腹空いていないしという普段の感覚を通したために体調を崩したことを、いまも忘れていない臆病なわたしです。

ま、一口食べてみて後悔しましたけれどね。

Vienna


分かってはいましたが、甘いんです。激甘、甘甘です。

一緒に盛られているホイップクリームにはお砂糖が入っていません。 おそらくチョコケーキと一緒に口に運べば甘さが和らげられてってことだと思うのですが、 このホイップクリームの嫌らしさといったらありませんでした。

普段わたしが使用する生クリームは中沢さんの製品です。中沢さんのフレッシュクリームはおいしい牛乳の味がします。 砂糖が混ざっていなくても、舌に乗せればふわりと新鮮な牛乳の香りを広がらせて、そしてスッと消えていくのです。 その切れがあまりにも見事なために、名残惜しささえ感じるほどです。

それに比べてこの山盛りにされたクリームときたら、舌に乗せた瞬間モワッと脂分を広げていつまでもいつまでも口にその後味を残すのです。 チョコケーキと共に口に運べば、なんとかこの濃厚チョコ味で脂が消されますが、だとするとこのクリームの意味がありません。 だってやはり濃厚チョコは濃厚なままで激甘なのですもの。クリーム以上に油分を感じるのですもの。

しばらく前までわたしはチョコ好きでした。その時ならば美味しい、至福の時間と感じたのかもしれません。 しかしそうではなくなったいま、チョコレートほどしつこく嫌な味のするものはないと思うようになりました。 チョコ好きの間にわたしは、わたしの一生分のチョコレートを食べつくしてしまったのかもしれませんね。

結局ザッハートルテとホイップクリームは両方共に半分以上を残す羽目になりましたが、 とにかくこれは休憩なのだからと言い聞かせ、両脚がぶらんと下がる椅子にしばらく腰掛けて時間をつぶしました。


23rd August 2008

Vienna


プラハでは一回だけ乗り換えのできるチケットよりも一日券を買ってしまうことの方が多かったのですが、 ウイーンでは一回券 (Einzelfahrschein 1.7ユーロ) という一時間乗り換え可能券をよく使用しました。 このチケットで同じようにトラム、バス、地下鉄を自由に乗ることができるのです。

リングをぐるりと回る一番と二番がなくなってしまうような話をどこかで耳にしましたが、 本当なのでしょうか。 市庁舎、自然史博物館、美術史博物館、オペラ座、市立公園と座っているだけでも楽しめる一周でしたのに、それが本当ならば残念です。 南駅、乗り場付近の売り場、地下鉄入り口の自動販売機と色々な所で購入して使いました。とても便利なチケットでした。

南駅と言えば、なんどか南駅のチケット売り場に並びましたが、一回に付き必ず一回と言っていいほどに横入りを求める人がいました。 どこからか横に寄ってきては、急いでいないのならばどうかあなたの前に入れて欲しいようなことを懇願してくるのです。 家族連れであったり、若い女性であったり、老女であったりと相手は色々ですが統一しているのは眉間にしわを寄せて、 本当に本当に急いでいるんだというような表情をすることです。

その割りに無事にチケットを入手しても、そこからホームまでは走らずにのんびりとスーツケースを引いて歩くんです。 またその方たちのチケット購入までの時間が意外と長いのも共通していました。

わたしは急ぎの旅をしているわけではありませんで、初めの頃は、構いませんよと入れて差し上げていたんですが、 こう並ぶたびに何度も、自分の列だけでなくあちらこちらの列にその横入りさんを見ると、 南駅が大きく、旅行者が多いということよりも、大して急いでもいないのに人を見ては入ってくるのではないかと思うようになりました。

本日は、あるおばあさんに三十分以上も時間を取られてしまいました。

窓口と交渉をしているそのおばあさんと次の順番であるわたしは、待ちのために少し離れた位置にいます。 ま、すぐ後ろにいたところでわたしにドイツ語が理解できるはずもありませんが、 どうやら自分の持っているチケットを別のルートと交換して欲しいようなことを交渉しているようでした。乗り遅れたのでしょうか、分かりません。 受付の女性もこちらはどうかしら、あちらはどうかしらと提案されたり、 そして結局は上司のような男性を呼んだりしてこれほどまでに時間がかかってしまったのです。

一体何をやっているのだ、そんな苛立ちの空気がわたしの背後からも感じられます。困ったものです。 そんな中でもまた一人、急いでいないのならわたしを入れてもらえないのかしらの人がやってくるのです。 申し訳ないのですが、彼女を入れるわけにはいきません。わたしももう既に、待ちすぎているのです。

いくら気分次第の旅とはいえ、これ以上お人よしになる必要はないと思うのですよ。


22nd August 2008

Hungary


本日は列車に乗ってハンガリーに足を伸ばしてきました。

随分と体調がよくなったことと、ウイーンの街並みの美しさに気分がよくなってきたことで旅行欲がでてきたのです。 まだ時間はあるのだし、ちょっとそこまでって気分で国境を越えられるのもヨーロッパの愉しみと言わんばかりに朝、ホテルをでました。

ただ立ち寄る場所はハンガリーの首都ブダペストではなく小さな街で、通貨がユーロならば昼食や買い物をしてもいいのですが、 宿泊する予定もないとなると両替をするほどでもありません。 ホテル近くのスーパーで水のボトルとバナナ、パンを買ってカバンに放り込み、駅では往復チケットを買って列車に乗り込みました。

もっと力が付くものを食べなさいなと思われるかもしれませんが、 チェコの救急病院にて 「プレーンなパン、ガスの入っていない水を少しだけ。生もの、肉類、ジュースはしばらく駄目よ。」 と言われているのです。 そんな訳でスーパーシティでもランチのチョコケーキとオレンジジュースは、口にしていないのです。

ほんの二時間程度でしょうか、進んだり、戻ったりしながら忠誠の町という意味を持つ、ショプロンという小さな街に到着しました。

まずはぐるりと外回りをしながら火の見の塔を目指します。 ガイドブックの地図片手にこの辺りだろうと予測を付けて町の人に声をかけますと、 あ、いやいや英語はすまん、てな手振りで話も聞かずにわたしから逃げようとします。 あ、いや、ちょっと待ってこれだから、とガイドブックのハンガリー語表記部分を指差しますと、ああ、それならこの裏だよと指差して下さいました。 このようなやりとりは、この旅行中に何度かあった光景です。

火の見の塔は、大きな塔です。 ファブリツィウスの家や山羊教会を見ながら水とバナナを口にして、薬局博物館、オルショヤ広場と回って休憩を取りました。

また、駅近くの広場の噴水でも休憩を取りましたが、ここには犬連れの方や水着姿になって噴水が上がる時間を待つ子供達がいました。 英語で話しかけることによってなにも聞いてもらえずに逃げられてしまうってのはチェコの小さな駅以降よく学んだので、 ガイドブックを開き、ハンガリー語で話しかけて、まずは逃げないでもらって、それから噴水が上がる時間を教えてもらいました。 親切な方で、最初は戸惑った様子でしたが、メモ紙を取りだしてそれに時刻を書いて下さいました。

十分ほど待っていると、かすかな音がして、そして四畳ほどの広さのある、石畳を組み合わせたような地面から水が上がり始めました。 犬が寄ってきて水を口に含もうとします。そうするとシュッと水が止まり、犬が床をピチャピチャ舐め始めると次は勢いよく水が上がって犬が驚く、 そんな光景の横で子供達ははしゃいで水浴びをしています。

勢いよく上がったり、シュッと止まったり、リズムを刻むように断続的に上がったりとそんなことを繰り返し、 噴水が完全に止まると今度は鳥達が空から舞い降りてきて石畳に広がる水をついばむように飲むのです。 ホッとするような和やかな光景でした。

飽きもせずに二度、三度とわたしはその水が上がる時間を楽しみました。


21st August 2008

Vienna


悪夢が覚めて少し身体が楽になって、いよいよ本日はオーストリアに旅立ちます。 勝手なものですが辛い記憶しか残っていないプラハに未練などなく、どちらかと言えば早くここから離れたいくらいの気持ちで駅に向かいました。

ホームに入っているスーパーシティを眺めながら清掃が終わるのを待っていると、 ハリソン・フォードによく似たオーストラリア人男性から話しかけられました。 内容は簡単な、どこから来たのか、どこを旅してきたのか、そんなやりとりです。車両に乗るまでの時間つぶしですね。 外国人のわたしにも分かりやすいように、ゆっくりと丁寧に優しく微笑みながら話しかけて下さる上品な方でした。

この初老と表現するには申し訳ないような男性の肩の向こうには、六つも七つもスーツケースを乗せたキャリーを引くポーター、 その横にはこれまた優しくて品のよい笑顔でわたしを見つめてくださる奥様がいらっしゃいました。 お二人とも、穏やかに歳を重ねられたのだと容易に想像できる笑顔です。

わたしはと言えば水のボトルを片手にバックパックひとつだけを背負って、 いえ、決して汚い格好はしていませんでしたがそれでも高価なものなどなにひとつ身に付けていなくて、 ちょっと恥ずかしいような気もしましたが、失礼のないようにつとめて受け答えをしました。

しかしこれがチェコに来て、わたしが一番楽しいと思えた時間なのでした。

スーパーシティはゆっくりと、ホレショヴィツェ駅を出発しました。 これまで乗ってきた列車とは異なる新しいボディのスーパーシティは決して期待を裏切らず、車内は明るくて清潔で広々としていて快適でした。 ランチに四角いハード系のパンにチーズとトマトが挟められたサンドイッチ、チョコレートケーキ、 紙パックのオレンジジュースに温かい珈琲を受け取ってからは、 少し前までの 「もう帰国しようかな。」 くらいのブルーな気持ちが消えて、 ウイーンに近づくにつれて初めての旅行のようなわくわくした気分に変わっていきました。

あ、ウイーンは初めての旅行なんですけれどそれはおいておいて、 これも全てハリソン・フォードさんのお陰かななんて、車窓に広がる草原を眺めながら珈琲を飲んだ次第です。

スーパーシティは定刻どおりにウイーン南駅に到着しました。 本当はいちいち時計を確認していた訳ではないのですが、定刻っぽかったんでそれでいいんです。

まずは南駅にほど近いベルベデーレ宮殿を見て周り、それからトラムを乗り継いでホテルへと向かいました。

確かこの辺りのはずと地図を広げていますと、女性が 「どこを探しているの?」 と訪ねてきて下さいました。 今回の旅先で、道筋についてあちらから声をかけて下さったのは初めてのことです。 地図にはアバウトな丸印しかつけて来なかったのでホテルの予約やり取りをコピーしてきたものを見せますと、 ちょっと失礼するわねと言いながら老眼鏡を取りだして確認して下さり 「このホテルならこう行ってこうよ。」 と教えて下さいました。

ホテルはここから目と鼻の先ではありましたが、この女性がいなかったら見つけられなかったかも知れない場所だったなと思いました。 やはりハリソン・フォードからわたしのなにかが上向きになっているのです。

そうは言っても体調不良の悪夢まできれいに忘れ去ることができるほど調子よくはできていませんで、 本日はホテルでゆっくりと休息を取りました。 夕立があったのもあり、なんだか明日からはまた新たな気分で過ごせそうだと感じました。


20th August 2008

Czech


昨夜ほど辛くて長い夜はありませんでした。

悪夢のような数時間でしたので詳細は控えますが、吐いて吐いて吐きまくりました。 食欲の無い疲労を甘く見てはいけません。食欲がないからと言って食べないのも駄目です。 普段の生活ならば一食抜くことくらいなんてことないのですが、旅を始めて一週間以上過ぎた頃となるとそれは、身体の発した黄色信号だったのです。 いや、既に赤信号だったような気もしますけれど。

食のことしか考えていない旅行もどうかとは思いますが、しかし、ま、案外その方が精力的な旅ができるのでしょうね。

ドイツでの 「わたしも食べなくては」 と言った友人の言葉が胸にこだまします。 まだ暑い日が続くと思います。皆々さまもどうぞ胃を労わってあげて下さいな。

さて、画像はダンシングビルです。わたしのガイドブックには物議を醸したとの記述があります。 たまたま話をしたプラハの方からは 「自分は好きだ、モダンだから。」 との答えが返ってきました。 わたしは、どうでしょう。なんたが烏賊が寄り添ってるみたいに見えて返答に困っちゃいますけれどね。


19th August 2008

Czech


本日はプラハ城に足を伸ばしてきました。

地下鉄とトラムを乗り継いでカレル橋手前まで来ましたが、ここからプラハ城までの坂道は歩くしかありません。 ここはカレル橋を渡り切ったところですが、画像でも分かるように道が傾斜しています。 普段から歩くことに慣れていない者にとっては、この傾斜を歩き続けるということはある意味、苦行です。

わたしも *ipod にモルダウを入れて来て、それを聴きながらモルダウ川をしばし眺めてつかの間の休息を取った訳ですが、 それでは足りなかったようです。 脚の疲れは取れても、本人の自覚のない体内の疲れが取れていないのです。 「ちょっと疲れたかな、あんまり食欲がないや。」 軽い夏ばてに似たこの症状を、旅行中は甘く見てはならない深刻なものだと学びました。

このプラハ城観光後の体調の崩れようといったら、酷いものでした。 異国の地で頼る人もいない心細さからくる辛さ倍増と言いますか、本当に病は気持ち一つでどちらにでも大きく傾きますね。

あの時あの店に立ち寄ってゆっくりと休んでおけばよかった、とか、食欲がなくても詰め込んでおくべきだった、など、 いまでも後悔ばかりです。 武勇伝のひとつとして笑い話にしてしまったっていいのに、まだたらればと思い返してしまうのです。

プラハの街並みはこんなにも美しいのに、あまりいい思いでとして残っていないのも寂しいものですね。

* モルダウの流れを ipod を聴きながら眺めたという某日記を昨年に読み、その風景に憧れてわたしも持参しました。 試してみて、ああその日記のようにこの曲は極寒の中で聴きたいと、いやいや極寒の中でこそ聴いて沁みる曲と思いましたけれども、 ま、体調を崩した者がなにをいまさらと笑ってしまいますね。


18th August 2008

Czech


わたしの乗った寝台特急列車は、ポーランドをほぼ定時に出発しました。

相変わらず熟睡なんてできないわたしですが、空が明るんでくる様子を布団をたたんだベッドにもたれてゆられながら眺めるのも悪くないです。 時間的にそろそろかなと思ってしばらくしてから、チェコで降りる旅行者が降ろされました。列車はこの後ウイーン、ブダペストと向かうようです。

地下鉄に乗り換えてホテルに到着してからシャワーを浴び、銀行で両替を終えてから街にでました。 たまたまわたしの入った銀行だけなのかどうかは分かりませんが、日本円は受け付けてもらえずにユーロからの両替となりました。

まずはホテルの位置する新市街を見て周ろうと、再び地下鉄に乗り、ムゼウム駅を下車して画像のバーツラフ広場に到着です。 国立博物館からまっすぐに伸びるこの道は、広くてとても美しい通りでした。 そういえば犬の糞も見かけなかったかも知れません。

Czech


次はトラムに乗り換えて共和国広場へと向かいました。 画像は市民会館です。この隣には東欧の火薬庫と呼ばれる火薬塔が建っています。

この観光で少し疲れがでたようです。 列車ではゆっくり眠られないと口では言いつつも、自覚ないうちに少しは休んでいるのではないかと思っていましたが、 やはり十分に休めていないのです。

あまり細かく見ることはできずに、早いうちにホテルに戻って休みました。 せっかくだからとか、ここも見ておかなくては損だとかいう感覚で急いで見て周るのは、 ちょっと疲れた頃に帰国というせいぜい五日間くらいの旅行日程までだと思います。

それを超える旅行ならば、長くなれば長くなるほどのんびりと見て周る計画にしておかないと、旅行中に体調を崩しかねないのです。


17th August 2008

Polska


滞在していましたホテルは新しくて明るくて清潔で設備も整っていて、立地条件も申し分なく、スタッフもとても親切でと、全てが揃っていた気がします。 ホテルのホームページから予約させていただいたのですが、ここは選んで大正解のホテルだと思いました。

ちなみにこの画像は滞在していたホテルではありません。

名残惜しい気持ちはありますが、いよいよ今夜ポーランドを発ちます。

今夜は再び寝台列車に乗る予定ですので、ホテルをチェックアウトしてからどう時間をつぶそうかと、 特に列車到着付近の遅い時間帯は安全面に全く不安がないわけではありませんでしたから、どう過ごそうかとしばし悩みました。 しかしそんなかすかな不安を軽く吹き飛ばしてしまうほどに、この街は優しい所でした。

チェックアウトしてからはまず、あのポーランドご出身の医師が勧めて下さった Wawel に足を運んできました。 地図片手にさほど悩むことなく到着した Wawel には、わたしと同じような外国人旅行者が多数おられました。 ただ残念なことに、医師がわたしに特別に勧めて下さった場所は見つけることが出来ませんでした。 そこは地図にも載っていないちょっと不思議な空間でしたので、どなたもご存じなかったのです。

残念だなと思いつつ、いつの間にか咳が止まっていたことに気付き、改めてあの医師に感謝した次第です。

駅のすぐ横には大型のショッピングセンターがあるので、最終的に列車の時刻近くまではここで時間をつぶしていました。 日が落ちてくると、わたしのようなバックパックを背負った外国人旅行者がどこからともなくわらわらと集まってきます。 わたしはここで注文していないからと遠慮していたフードコートのテーブルスペースは、 いつの間にか旅行者の時間つぶしの場となっていました。 パソコンをする者、仮眠を取る者、雑談をする者、そこには少しも不安を感じさせる空気はありませんでした。

ちょっと開いたスペースを分けていただき、ホッと息をついて、発車の一時間前までここで過ごさせてもらいました。


16th August 2008

Polska


昨日はアウシュビッツからホテルに戻って、ちょっと遅い昼寝のようなものをしました。 夕食の時間帯には起きられるつもりでいましたが自分の思っていた以上に疲れが溜まっていたようで、 目が覚めた時にはもうわたしから外出を躊躇させる時間になっていました。

いえいえ、クラクフの街はまだまだ安全に外出可能、一般的に見ても夕食時間の範囲内ではありましたが、 いまから支度をしてまでの空腹でもないかと思い、またベッドに横になってそのまま朝まで休んだのです。

本日は市内をのんびりと観光していて食事を割と軽めに済ませていたことや、 昨夜の夕食抜き、またポーランドならではの料理を食べてみたいという気持ちもあって、 夕食はガイドブックで見つけた伝統的な東ポーランド料理をだしてくれる素朴な雰囲気のレストランに決めました。

食べ切れないだろうとは想像できましたが、それでもメインだけを注文するのは失礼かと思い、 バルシチスープ、細切りの豚肉とパプリカにクリーム系ソースがかかっているもの、 添えにはクネドリーキという水とんのようなものを選び、そして飲み物を注文しました。 赤ビートからでる鮮やかなバラ色のバルシチは少し酸味のある爽やかな後味が美味しく、水餃子のような具も含めて全てを飲み干しましたが、 あとはやはり駄目でした。

メイン料理の豚肉はとても美味しいのですが、いかんせん味付けが濃すぎるのです。 ぶよぶよに茹でられた味のないクネドリーキも少し苦手な食感で、両方ともに半分を食べるのがやっとでした。すみません。 胃に隙間があればデザートを追加する予定でしたが、とてもとても入る余裕はありません。すみません。

総合的に見れば美味しい料理でお店の方も親切でしたのに、こんなにも残してしまったことをいまでも申し訳なく思っています。


15th August 2008

Polska


本日はクラクフバスターミナルからバスに乗り、オシフェンチムという街までやって来ました。 目的はドイツ名、アウシュビッツ強制収容所の見学です。

この画像が有名な 「ARBEIT MACHT FREI」 (働けば自由になる) と書かれているアーチです。

このアーチの B の文字が逆さになっていることについて 「せめてもの抵抗」 との説が有力のようですが、 果たしてこのアーチをくぐってしまった方々にその 「せめてもの抵抗」 力があったのかどうか、わたしは疑問に感じてしまいました。

Polska


赤レンガの建物ひとつひとつに入り、その展示品などを見れば見るほど、説明書きに目を通せば通すほど、 その時代とは無縁のわたしからでさえ、生きる力が抜けていくような錯覚を覚えてしまうのです。

数えられないほどの靴やカバンなどの山、骨と皮だけのガリガリにやせ細ったご婦人の裸体写真、 立ち牢や銃殺用の壁などを見て周った後にもう一度このアーチを見上げると 「ARBEIT MACHT FREI」 (働けば自由になる) なんてないのさ、 ここをくぐり抜けたら最後、我々には自由なんてないのさと、空から悲しい声が聞こえてくるようで切ない気持ちになりました。

しかしこの絶望的な状況下でも生き延びることが出来た方々がおられたのですから、 「せめてもの抵抗」 力や強い精神力を持てた方々が存在していたのは事実なのでしょう。

Polska


アウシュビッツからは無料のシャトルバスがでているので、それに乗って 2km 先のビルケナウにも足を運んできました。 ドラマ 「白い巨塔」 にも登場した、強制収容所内まで延びる鉄道引込み線のある場所です。

この死の門と呼ばれたゲートの向こう側にも線路が続いていて、その両側にはまたバラックと呼ばれる建物が並んでいます。 幾つかの箇所は撤退の際に破壊されたために煙突だけが残されていますが、ここは間違いなく第二の殺人工場だったことをうかがい知ることが出来るのです。

空は青く穏やかな風が吹き、ポプラの木々も鮮やかな緑の葉を広げていました。 そんな気候にも恵まれた旅先なのに、自ら希望して立ち寄ったはずなのに、言葉を失って空を見上げている自分がここにいます。

アウシュビッツ収容所、ビルケナウはなんとも悲しい場所でした。 それでも、かねてより一度訪れてみたいと思っていた場所に足を運ぶことができて、いまはよかったと思っています。


14th August 2008

Polska


寝台特急列車がいくら快適とはいえ、眠りにはやはり繊細な神経を持つわたしです。 なかなか深い眠りに付くことは出来ずに、早朝と呼ぶにはまだまだ早すぎる暗いうちに目が覚めてしまいました。

こうなるとベッドに身体をあずけてはいるものの、 のどかな風景広がる車窓に目をやりつつ横を向いてみたり、上を向いてみたりと落ち着けません。 また、下調べして知っていた地名の駅に到着すると、身を乗りだして駅周辺を見渡してしまうありさまです。

しかし広々とした草原を走る列車に揺られながら白々と夜が明けていくさまを見ると、 新たな異国の地に降り立つ喜びを抑えられなくなるのも仕方のないことだと思うのです。

さて、列車はさほど大きく時刻をずれ込むことなく、ポーランドのクラクフという街に到着しました。

バックパックを背負い通路にでると、隣の部屋には白人の男女、その隣には白人の家族連れと並んでいました。 よい旅をとお互いに声をかけ合って駅に降り立てば、なんだか懐かしいような、 初めての地なのにまるで帰って来たような気にすらなる柔らかい風を感じることができました。

Polska


両替を済ませてからホテルへと向かい、シャワーを浴びてから街へでました。

空腹のわたしがオープンカフェの席に着いて選んだ料理は、 乾燥させたトマトのオイル漬けを鶏肉で巻いて焼き、ペッパーが軽く効いたソースをかけたものにマッシュドポテトが添えられているものです。 これはポーランドの伝統料理という訳ではないのですが、今回の旅行中で一番の美味しい料理でした。 小さなパンとデザートもいただきましたが、なによりもこの一皿が美味でした。

ただひとつ難点がありまして、このカフェの広場は有名な観光名所なのですが、馬車があるからかハエが酷く寄ってたかって来ました。 振り払っても振り払っても振り払え切れない、呆れるほどの数のハエがいるのです。 中には蜂かと間違えるような模様の虫もいて、最初は刺されるのではないかと心配でなりませんでした。

そういえばベルリンにもその蜂のような模様の虫が飛んでいました。 元々刺さない虫なのか、むやみに刺さない蜂なのかは分かりませんが、いつしかこれは受け入れるしかないのだと思うようになりました。


13th August 2008

Berlin


いよいよ、のんびりのんびりと過ごしたベルリンを離れる時が来ました。

友人はまだ体調がよろしくないわたしを気遣っては、残りのスケジュールを全てキャンセルしてここにずっといればいいと言ってくれましたが、 もう咳が悪化ではなく快方に向かっていると自覚出来たので、これまでの日々の不安な気持ちもどこへやら自分の計画を進めて行きたい欲求がふくらみ、 次の国に行く決意を固めました。

いよいよ今夜、ベルリンを離れる寝台列車に乗ります。

駅のホームまで見送りをしてくれた友人に感謝の気持ちを伝えている間に撮影したこの画像の空は明るく見えますが、 この瞬間の時刻はもう、女性一人で歩くには危険な時間になりつつあるのです。

寝台列車を一度見て見たいわと言っていた友人も、そろそろわたしも帰らなくてはと思い直して、向かいのホームから自宅に向けてこの駅を離れました。 彼女の姿が、彼女の乗った列車が見えなくなるまで手を振りつつ、振り返ってみればあっという間のベルリン滞在でした。

日本にも、わたしの住む町にもいつか遊びに来て欲しいと願いながら、ううん、また来年、今度は万全の体調で遊びに来させてもらおうと心で約束しながら、 振っている右手が少しずつ重たくなっていきました。

Berlin


さて、さっきまでの切ない別れと、突然襲ってきた孤独感を吹き飛ばしてくれるほどに、この寝台特急列車は快適で安心の出来る乗り物でした。

割と新しく明るい色調の個室に、真っ白いシーツやカバーで覆われた清潔そうなベッド、跳ね上げ扉式でテーブルを兼ねた洗面所、 その上の棚の扉を開いてみるとそこには大きな鏡があり、 手前のスペースには、 ガス入り、ガス無しウオーターのペットボトル、朝食用にチョコクリームの入った柔らかいパン、 それにタオルと香りの強い石鹸の入った洗顔セットが用意されていました。

落ち着いてから友人の携帯に、無事に列車に乗ることが出来たことと、改めて滞在中のお礼のメールを打ちました。 彼女からも無事に自宅に到着できたことの連絡を受けて、わたしは安心して横になることができました。

今回の旅はバックパック一つ背負って移動していますが、わたしはいわゆるバックパッカーと呼ばれるようなスリリングな旅は計画できませんで、 この車両も、これ以降に乗る国境を越える長距離列車も、鍵のかかる一等車両の個室を購入しました。 ですから武勇伝として残せるような見知らぬ外国人たちと同じクシェットで寝たとか、その日の宿がなくて野宿したとかなんて土産話はありません。 なにより身の安全を考えて行動しました。


12th August 2008

Berlin


滞在中はバス、地下鉄、トラムなどの乗り放題チケットを使用したので、 ドイツ国会議事堂やソニーセンターを周る二階建てのツアーバスに乗ることもありました。 初めてのベルリンを一通り見て周るのに適しているとの、友人の計らいです。

二階の最前列に座り、上からあれよこれよと見て周るのは手抜きツアーのように思われるかもしれませんが、 万全の体調ではないわたしには、これが本当にありがたい方法でした。

Berlin


簡単にベルリン主要箇所巡りを終えて、また一休みです。 時間はたっぷりあるのですから、少しずつ少しずつベルリンの街中観光を消化していきました。

そうそう、この翌日にはベルリン動物園の白熊 Knut にも会って来ました。 昨年、昼のニュースによく流れた人気者です。

Berlin


もうすっかり成長しきって白熊の赤ちゃんではなくなっていましたが、それでも Knut の周囲は黒山の人だかりでした。 Knut は人の手で育てられたためか、他の白熊とは別の場所にいたので探すのに一苦労しましたが、 テレビの中の人気者を見ることができて嬉しかったです。

思えばベルリンの壁崩壊も、過去にテレビで見ていたわたしでした。 あの時はまさか、自分がその場に降り立つとはゆめゆめ思いもしませんでしたが、 こうしてその歴史の現場に立ってみると、その気になれば世界はそんなに広くもないのだなと思うようになりました。

あ、旅行に関してだけですよ、もちろん。



11th August 2008

Berlin


スタバもどこにでもあるカフェですね。

以前スタバが使用している豆のニュースを見て、その時はもうスタバに行くこともなかろと思っていました。 周囲には他にも安くて雰囲気のある素敵なカフェが並んでいますのに、このベルリンの街でわざわざスタバを選んだのは、 そこが懐かしい、友人との始まりの場所であることが大きな理由です。

自宅近くで飲む珈琲と変わらないような味を、見慣れたマグカップで飲みました。

そういえば珈琲を飲みながら眺める窓からも、犬を連れて歩く人をよく見ましたね。

犬連れが多いことはベルリンに限らずチェコやハンガリーでもそうでしたが、 ベルリン(だけでなく多分ドイツ全土、いや待て、西や南には・・・ま、いっか)では特に糞の始末を義務付けられていないとのことで、 だからこそ街中を連れ歩くのにも面倒なことではないのかなと思いました。 バッグに収まるような超小型犬から、間違いなくわたしよりも大きい 40〜50kg 級の超大型犬まで、色々な犬連れの方とすれ違いました。

このスタバには、入り口の、わたしから反対側にも犬連れの女性が座りました。 きちんとお座りをして行儀のよい犬でしたが、女性の手には散歩グッズらしいバッグは見当たりません。 エコバッグは広く普及して持参していても、散歩バッグはないのです。 もちろん誰一人として持ち歩いていない訳ではないでしょうが。

道路には至る所に糞と、それに群がるハエがいました。 ここまで落ちていると歩くのにも注意が必要で、衛生的にも困ったものだと思いましたが、 ドイツ的に糞はプラスチックじゃない自然のもの、土に戻るものだからいいのよという発想のようです。

ちなみにスタバはプラハにもありました。さすがにこちらには入りませんでしたが、かなり繁盛していました。



10th August 2008

Berlin


住まわせてもらっていたのは学生の多く住むアパートメントです。 エレベーターがないので自力で上がります。(四階と言いつつも日本的には)五階まで上がるのですから、これが結構しんどかったです。

それでも、重い扉を開いて入る自室が心地よくて、ずっとこのまま住んでも悪くないな、なんて感じてしまうくらいでした。 ベルリンの建物はなんだか寂しいような、心躍ることのない外見ですが、自分にとって心地よい環境が揃っていれば、やはり都になるものなんですね。

さて、到着当初わたしが両替したユーロは、薬にばかり化けていました。

風邪の引き始めかなと購入した BIO のビタミン顆粒(これは体調不良関係なく買って良かったと思えました)、 瞬間的に強烈にのどが乾くことがあったので、 それで咳き込んでしまうのを防ぐために購入したのど用のスプレー剤(このタイプはアズレンが一番わたしに向いているので失敗でした)、 麻酔のような作用のあるのど飴(これは試しに舐めてみて自分には向いていないと分かり購入しなかった舌が麻痺するような飴でした)、 そしてアイブプロフェン。

友人に勧められて購入したアイブプロフェン(日本ではイブプロフェン)こそが本命と言うか頼りだったのですが、 これで喉の炎症やそれにより起こる咳が治まらずに結局、医師の元を訪れたのです。

診察を終えた医師からは antibiotikum か(そのままの発音の)アスピリンか、どちらがいいかみたいなことを聞かれました。 すぐに理解できたアスピリンと聞いて記憶をたどると、わたしが飲んだことのある風邪薬には非ピリン系という文字があったと思いだしました。 それでアスピリンは飲んだことがないとお断りしたのです。

しかし帰国して調べてみますと、アスピリンも非ピリン系の薬品で、バファリンにも入っているのだそうです。 バファリンならば過去に一度か二度くらいは飲んだことがありましたよ。

それから antibiotikum の方は、過去にこのような症状で処方されたことがあることから抗生物質だろうと予想しました。 それで携帯についている和英辞書を使って antibiotic を引き出して見せたところ、それだと言われたのです。

文字にしてみればそんなに変化していない単語ですが、わたしにはその場で、即座にそれが antibiotic であるとは理解できませんでした。 それとも過去に処方されたことのある 「クラリスですか」 と聞いてみた方が早かったかしらとか、ま、いまになって思ってみても遅いのですが。

とにかくこの抗生物質を飲むことで、わたしの体調は日に日に上向きになっていったのでした。

ちなみにこの医師は、ポーランドご出身の方でした。言葉はドイツ語でお話になり、友人も英語に直して通訳してくれていたのですが、 ドイツ語の分からないわたしにも雰囲気でなんとなく理解できる話し方をして下さるとても温和な方でした。

次にポーランドに向かうことを告げますと、ポーランド語で一筆書いていただけました。 「この薬を飲み続けても改善しない時は、病院に行ってこの紙を渡しなさいな。」 そのようなことを言いながら、処方した薬名などを簡単に書いた用紙をわたしに手渡して下さいました。

あと Wawel にも是非に足を運びなさいと、そしてなぜわたしに Wawel を勧めるのかを優しく説明して下さいました。 この医師のお人柄は、ポーランドのお国柄を示しているような気がしましたよ。



9th August 2008

Berlin


屋台で買うことはありませんでしたが BIO のお店ではよく買い物をしました。

ま、そうは言いましても、わたしが料理をすることはありませんでしたがね。 体調を崩したわたしを気遣って、友人が朝・昼・晩と食事を用意してくれたのです。 彼女のお陰でわたしは、体調と落ち込んでいた気持ちを立て直すことが出来ました。

機内で体調を崩すなんて本当に恥ずかしいことですが、彼女の優しさを改めて知り、嬉しい気持ちになりました。

ブルーベリー、アプリコットやバナナにメロン、色々なフルーツを食事の後にたくさん食べるよう勧められました。 まずは食べる、これがドイツ流健康法なのでしょうか。

日本では腹八分目なんて言葉がありますのに、わたし個人としては満腹になるまで食べると風邪を引きやすくなるというのに、 彼女本人もまた、わたしも食べなくてはならないと言っては、細い身体にたくさんの食べ物を詰め込むように食べていました。



8th August 2008

Berlin


そうそう。旅をしてきたのでした。

画像の処理が済んでいないのでどうにもこうにも日記が進みませんが、 まずはウンター・デン・リンデンの西に立つブランデンブルク門やカイザー・ヴィルヘルム記念教会などを見たベルリンです。

実はこのベルリン行きの機内で喉をやられてしまいました。 わたしは、咳がではじめるようになると市販の薬では治らない体質のようですので、 日に日に不安や心細さがこみ上げ、到着してしばらくの間は、予定を全てキャンセルして帰国しようかと思っていたくらいです。

簡単に手に入る薬ではどうにもならないほどにしんどくなりつつあったので、最終手段として抗生物質を処方していただきました。

これで少し落ち着いたのと、いまから帰国したって同じ薬の処方だわと思い直したことで、のんびりとしたペースで旅行を続けてきました。

元々強行スケジュールを組んではいなかったので、薬を服用しながらでも辛くない旅ができましたよ。 ちょっと部屋に戻っては休み、時に昼寝をして、寝過ごして夕食抜きになったりもしましたが、よく寝ることを第一に考えて楽しんできました。

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